冒険とイマジネーションの日々

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じゅんなななの共依存

劇場版見て、じゅんなななの関係がクソ重すぎて、好きすぎたのでメモします。
ネタバレを含みます。




  • Overtureのじゅんななな

純那:独りぼっちを放っておけない
ばなな:みんなのためを思い、みんなに優しいが、自分自身は孤独。

独りぼっちの子を見捨てない純那の姿を見て、ばななは純那を全力でサポートしようと心に決める。
ばななが苦労している姿を見て、純那はばななをフォローするためにお菓子を作る。

お互いにお互いをサポートしあっているし、サポートしなきゃと思っている関係。
だれにも見せていないと思っている弱さを見せられるし、相手が気づいてしまう。

  • テレビアニメ

プライドにより実家に帰らない純那に対して、一人にさせないために寮にのこるばなな。
再演を繰り返したばななの苦しみを受け止める純那。

  • 劇場版

純那ちゃんに舞台への道から逃げてほしくなくて、純那ちゃんが舞台少女として死ぬことが見えてしまったので、皆殺しのレヴューをはじめる。

「今は今は、いつか」と言って生き恥を晒すくらいなら、ここで死ねとばななは純那に自害を迫る。
偉人の名言が力をくれると、名言攻撃をするも、ばななには響かない。(純那自身の言葉・能力ではないから。)
再度、自害を迫る。
「殺して見せろよ 大場なな」
ばななは、舞台少女として死に行く純那を見ていられないが、自分でとどめを刺すことができない。(優しすぎる、平和主義の人間だから)
純那は差し出された刀に自分の翡翠をはめ込み、自分の武器として、ばななに迫る。
「あなたに用意されたステージなんて要らない」
ばななが純那を思って、用意したレヴューを壊していく⇒ばななのサポートはもう要らない。
「こんな純那ちゃん見たくない」
ばななは純那が守るべき存在でなくなることが怖い。純那は自分の力で切り開く。
助けたいけど、変わってほしくはないって複雑ですね。。

「今は今は」と言っていたのは、演者か裏方か決めきれないばななも同様。
前に進んで、決めなきゃいけないけど、今はまだ決めきれない。

ばななの二刀流のうち、大きい刀が演者の力だとすれば、小さいほうの刀は、裏方の力の刀。
再演によって、守りたい気持ちから裏方志望になったとすれば、それはばななの力でもあり純那の力でもある。

二人とも、自分の人生を生きれてなかったように思える。
純那:自分の力ではトップスタァになれないことがわかってしまっているので、うわべだけの努力をしてしまっている。本当にトップスタァになる覚悟ができていない。
ばなな:みんな(今回は特に純那)の人生や幸福を守るために行動し、自分のために行動しない。
二人とも舞台少女として生きることに現実感がない。


戦いの末に、それぞれの向かうべき舞台を見つける。
でもそれは、別々の道。
「いつか同じ舞台に立てる。」
⇒「いつか」と言っていては、いつかはやって来ないから、二人が出会うことはきっと無い。

ふたかおや、真矢クロの決着がプロポーズだったのに対し、
じゅんなななは決別だったのが切ない。
でもそうでなければ、お互いに自立できず、進む道を見つけて決断することができなかったのだろう。

じゅんなななは、お互いを守るべき存在として、捉えててしかも自分しか守れる人はいないと思ってそう。
ふたかおも共依存だけど、お互いに「しょうもない」関係だということは認識している。
それに、二人でいる(二人できらめく)未来が見えているからこそ、離れてても大丈夫だし、未来の約束もできる。
だけど、じゅんなななは相手を守るのが正しいと思ってる。二人の未来も二人の約束もない。
相手を守りたいから一緒にいるだけの存在。
でもきっと、お互いに孤独な存在だったから、お互いの存在がないと聖翔で生きていけなかったのかもなあと思える。